2019年3月19日火曜日

『神の見えざる手』とは書かれていない?

我々は「途上国」から安い資源を貪り、
「グローバリゼーション(グローバル化)」の恩恵を受けて来た。
そのあたりは「真摯に受け止める」としたうえで...
格差は(以前)「先進国」「途上国」間でのイシュウであったが、
今や国内の問題として、我々に降りかかり・表面化して来ている。

「グローバリゼーション」が、既に常態化しつつあり、
簡単には「止める」ことができないものであるとすれば、
それをプラットフォームと見立て・仮定して、
それぞれの国家主権同士が
(「主権」というものを強く意識しつつ)
協調する形態・様態で、コントロールしていけないものか?とは思う次第。
※もちろん現政権には難しいであろうが...。

「グローバリゼーション(グローバル化)」と
「グローバリズム」を敢えてわけるならば....
グローバリズムは「物・人・金の国境を越えた自由化が善という考え」。
ただし(単んに)「自由化が善」と言うのであれば、
現時点でも沈静化する気配がない
フランスのイエローベスト運動はどのように説明できるのだろうか?

さて、
「(神の)見えざる手」で有名なアダムスミスの国富論。
少々誤解されている部分がある模様。

1つは国富論には
見えざる手とは書かれているが、
神の見えざる手とは書かれていない。
どこかの段階で“付け加えられ”広まった模様。

そして・もう1つ、
「国富論」は、その前に書かれた「道徳感情論」を基礎としている点。

「道徳感情論」は人間の“同感”という感情に注目したもの。
“同感”とは、社会的に共感できるか?認められるか?
ということと、その範囲の意。

市場経済は、
放っておけば「(神の)見えざる手によって自然とバランスする」という、
多くの方が誤解している部分...

アダムスミスは“同感”可能性の範囲に限り、
「見えざる手」が作用すると説いている。

73億人を“同感”可能性の範囲と考えるには、
あまりに大きすぎて無理があるように思う。
先にも述べたとおり...
それぞれの国家主権を、最大でも・その範囲とすべきではないか?

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